原子爆弾の爆心直下に生身で立つ5人のボランティアの衝撃的な映像

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広島と長崎の話を聞いて育った日本人は、原爆の爆心地にいたらどうなるか小学生でも知っています。しかし彼らは何の防護服も付けずにこの実験に参加しました。いったいどういうことなのでしょうか?

この実験が行われたのは55年前の今日、1957年7月19日。ネバダ砂漠のユッカ・フラッツ核実験場において、5人の空軍のボランティアたちが爆心予定地に立ちました。中心となったのはこの時期の原子力エネルギー及び核兵器開発に深く携わり、ほぼすべての核実験に立ち会っていたSidney C. Bruce氏。

F-89戦闘機によって2kt(広島に落とされたリトルボーイは15kt、長崎のファットマンは22kt)の威力を持つ空対空核弾頭搭載ロケット、MB-1が発射されました。この原子爆弾は予定通り5人の頭上で爆発。爆発高度は動画では10,000ft(約3000m)とされていますが、13,000ft~18,000ftまで諸説あるようです。

グラウンド・ゼロで待ち受ける5人のボランティアたち。「Ground Zero Popuration 5」の看板が見えます。


F89がMB-1を発射しました。


MB-1爆発の瞬間。


巨大な光の球が出現しています。


少し遅れて衝撃波が地上に到達。


光はオレンジ色の火の玉になっています。


上空から霧のようなものが降りてきているのが見て取れます。どんな物質がどれだけ含まれているのか非常に気になります。


一連の様子を追った動画は以下から。


このような一見無謀にも見える実験が行われたのはなぜでしょうか?実は朝鮮戦争からキューバ危機へと繋がる冷戦が非常に大きく関わっています。

何かの拍子に冷戦が「熱戦」へと移行してアメリカ上空での空中戦が行われ、この核弾頭搭載の空対空ロケットが使用された場合でも安全であることのアピールの役目を担っていました。Sidney C. Bruceは、実験の6ヶ月後、セントルイス市民に対して

「私と4人の同僚は爆発の真下にいたけれど、全く健康上の悪影響がない。よって、アメリカ市民はこの件に関して心配する必要はないと感じている。」

Cold War Air Defense Relied on Widespread Dispersal of Nuclear Weapons, Documents Show

と述べています。その後彼らに健康被害が起こったかは不明ですが、Sidney C. Bruceについては本実験後の経歴の記述がコロラド大学のHPに記載されており、2003年の時点では存命であったと考えられます。

Alumni and Donors College of Engineering & Applied Science University of Colorado at Boulder

幸いにも実践で使われたことはないようですが、今後とも永久に使われないことを切に祈ります。

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