1950年代の観光客向け「核実験ツーリズム」の貴重にして恐ろしい写真


日本人からすれば絶対にありえない「核実験ツーリズム」、1950年代のアメリカ合衆国では大々的にもてはやされていました。詳細は以下から。

広島と長崎に原爆が落とされて数十万人が命を落として大日本帝国が敗北した後、アメリカ合衆国はソ連との冷戦時代に入りました。

その際の技術競争では宇宙開発が飛躍的に進みましたが、同時に核爆弾の実験も繰り返されてゆきました。

そして当然の帰結として、それらの核実験を観光客らに見せることで金を稼ごうとするビジネスマンたちも登場したのです。

ネバダ州の州都ラスベガスから北西に100㎞あまりの位置に建設されたのがネバダ核実験場です。

第二次世界大戦後にカジノのラッシュに沸くラスベガス。1951年に最初の地上核実験が行われると、その「スペクタクルなショー」はたちまち「核実験ツーリズム」として人気を博します。

マスコミはこのエキサイティングな光景に飛びついて大々的に紹介。あの超一流紙ニューヨーク・タイムズですら「核実験を見るのは古式ゆかしくはないが、それでもなお立派な娯楽である」と言及するほどでした。

「核実験ツーリズム」においては、旅行会社らは核実験の日時に合わせてばっちり目撃できるポイントでピクニックやパーティを企画。

プールサイドで原爆のキノコ雲という「スペクタクルなショー」を楽しむ観光客たちの姿です。

ホテルも核実験ビューを売りにするほどでした。

もちろんラスベガスを訪れるのは観光客だけでなく、ネバダ核実験場に関連する10万人近いアメリカ軍の男女も。彼らもラスベガスの発展に一役買いました。

日本人からすると絶句するしかないような話ですが、冷戦を彩る歴史の一コマであることは間違いありません。

なお、当然地上での核実験では放射性物質が撒き散らされており、現在も地上に微量ながらプルトニウムが存在する原因となっています。

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