【訃報】ドラゴンアッシュ(Dragon Ash)のIKUZONE(馬場育三)さん、46歳で逝去


ドラゴンアッシュの結成当初よりベーシストとして参加していたIKÜZÖNE(馬場育三)さんが4月21日に亡くなっていたことが公式サイトの発表により明らかとなりました。

Dragon Ash Official Website : INFORMATION

死因は急性心不全とのことで、46歳での早すぎる死となってしまいました。心よりご冥福をお祈りいたします。なお、4月28日(土)に沖縄にて開催される「Okuma Beach Fest 2012  "Open Gate"」への出演はキャンセルとなりました。

(以下、公式サイトより引用)

皆様へ

訃報

Dragon Ashのベーシストとしてデビュー以来多くの人に愛され続けていた
IKUZONEこと馬場育三が
21日夜に自宅スタジオで倒れているところを家族に発見され、病院に救急搬送されましたが、
平成24年4月21日 午後10時55分、
急性心不全のため東京都内の病院で死去いたしました。
46歳というあまりに早すぎる旅立ちでした。
葬儀はご遺族の意向で近親者のみで行われました。

昨年は橈骨神経麻痺によりミュージシャンとして大変苦しんだ時期がありましたが、
昨年末のカウントダウンライブで見事に復帰。
今月19日には本人が「胸が熱くなるようなLIVE」と待ち望んでいた
愛弟子ともいえるROTTENGRAFFTYとの対バンを果たしました。
ステージ上でいつものようにドラムの桜井と向き合ってベースを奏でていたのが
皆の記憶の中に鮮明に残っており、あまりに突然の事に
メンバー含め全てのスタッフがDragon Ashとして共に走り続けてきた
馬場育三という男を失ったことにとまどい悲しんでおります。

彼のスタイルとも言える個性的な生き方は、常に壮絶な努力と危ういほどの
繊細さと共にありました。時に周りを振り回し、面倒なくらいロックな人でしたが、
それ以上にその何倍も人を愛し、そして愛される人でした。

今頃、彼の敬愛するミュージシャン達と天国で出会えていることを
心の底から願っています。

生前中は馬場育三に多大な応援を頂き、皆様に感謝申し上げます。

ファンの皆様とのお別れ会は、
少し時間が経ってから行いたいと考えております。

なお、4月28日(土)
沖縄県「Okuma Beach Fest 2012  "Open Gate"」につきましては、
出演を断念する事となりました。
主催者及び、ライブを楽しみにお待ち頂いていた皆様に、
ご迷惑をお掛けする事を深くお詫び申し上げます。


平成24年4月24日
株式会社イノベーター


ご本人のTwitterアカウントでは死の前日にも3件のツイートが投稿されており、本当に突然の出来事だったのだなと感じざるを得ません。

昨日があって今日があって、繰り返してる舞い日を、少しでもね 昨日よりって今日もあって、塗り替えする舞い日を、少しでもと 祈りと実り 苦痛と恍惚 悩みと悔やみ 理想と空想  アールコールとニコチンと 愛して病まない人々が 私を活かしてして、繰れるノです 私を異化して、眩れるノです。


Ikuzone a.k.a 馬場 育三 (teine_ikuiku) on Twitter

<追記>
公式サイトにて、メンバーからのコメントが追加されました。以下に引用します。

Kj
俺とサクと馬場さん。3人で初めて音出した16年前から今まで、
アナタはずっと俺達のベースヒーローでした。
年上のエキセントリックなバンドマンは俺達にギターアンプのいじり方、
ドラムスティックの回し方、バンダナの巻き方、女の子の口説き方、
その全てを教えてくれました。
今思えば俺達が出会った最初のロックンローラーだったんだね。

破天荒で危うい生き方を最後まで貫いて幸せな音楽人生でしたか?
俺はその傍らで声を嗄らし歌えた事、無我夢中にギターをかき鳴らせた事、
両手じゃ抱えきれないくらい沢山の思い出を共に築いてこれた事、
身が震えるほど幸せでした。

続きは俺が死んだらね。向こうでまたバンド組もうぜ。
お疲れ様でした。クソほどお世話になりました。




桜井 誠
自分の人生の半分以上を共にした人を失うのは苦しくて仕方ない。
ましてやバンドというものを自らの経験を通して教えてくれた唯一の人。
馬場さんがDragon Ashにいなかったら絶対に今の景色は見れていないと思う。
でもまだ感謝はしません。だって、急に抜 けるのなんてずるいもん。
まだまだ旅の途中だもん。
ゴールがそこなら、着いた時にありがとうと言わせて下さい。
まだそっちいけないけど気長にまっててね。
どうか安らかに。
 



DRI-V
余りにも突然の出来事で気持ちの整理がつきません。

馬場さんとの思い出を振り返ると、
ツアー先のホテルで一緒にライブ映像を何度も繰り返して2人の動きをチェックしたりして、
更にライブが良くなるようなアドバイスを沢山もらっていました。
だからこそFantasistaの跳び箱…今まで一度も失敗なく、
2人の息が合ったからこそ出来るパフォーマンスでした。

これからも7人でもっともっとかっこいいライブができると思っていました。
同じステージに立てないのが残念で仕方ありません。

ステージに向かって左側、馬場さんはいつも最高のダンスパートナーでした。




ATSUSHI
馬場さんと過ごしステージという聖域で一緒に表現ができた11年と半年を
とても嬉しく光栄に思っています。
馬場さんは、不器用ながらも真っ直ぐで繊細で、
何よりもとても優しく愛情の深い人でした。
自分にとって馬場さんは、一人の人間としてはとても愛情を持って接してくれる
兄貴分であり、一人の表現者としてはIKUZONEという素晴らしすぎる個性と華を持った
とても尊敬するベーシストでした。
今後、馬場さんに追悼と敬意の気持ちをもって、踊っていこうと思っています。
馬場さん、本当に本当にありがとうございました。ゆっくり休んでくださいね。




BOTS
馬場さん、あまりにも突然の出来事、気持ちの整理も付かないままにあっという間に
お別れになってしまったよ。
振り返る思い出も沢山ありすぎて何を思い返せばいいか分からないけど、
昔に馬場さんが俺の事を心配して電話をしてくれた事を一番に思い出した。
正直、馬場さんの取り越し苦労だったけど俺の事思ってくれてるんだなって思って嬉しかったよ。
不器用な振る舞いだったけど誰よりもメンバー思いでバンド思い、
そして一番のファン思いだった馬場さんの姿は忘れない。
馬場さんが雑誌で書いてたコラムの一文も思い返したよ、
「死んでしまう事は恐く無い、でも死んでしまってみんなに忘れ去られてしまう事が一番恐い」
って確か言ってたっけ。大丈夫、恋人のように毎日思う事は無いけどさ、
赤と青のコントラストを見たり、長髪のスレンダーな男性を見たり、
何か耳に入った音楽のベース音を聞く度に馬場さんの事を思い出すようにするから、
そっちの場所でも安心して頂戴。
一足先にそっちに行った仲良かったスタッフも突然馬場さんが来たから驚いてるだろうけど、
また前のようにバカ話しててよ、二人とも酒大好きだったし、いっぱい飲んでさ、
好きなだけベース弾いて楽しんでてね。俺もいつかはそっちに行く事になるし、
話のネタ沢山ためておいてよ。今は一旦、お疲れさまと言わせて、また会う事を楽しみにしてるから。




HIROKI
馬場さん 贈る言葉は見つからないけど、まだまだ弾き足りないよ!

腕磨いとくわ! どっかでまたやろう!
 
オレのロックスター IKUZONE! そして戦友! めっちゃ愛してる!


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