【前編】「令和」のルーツとなった現場を見に太宰府を訪れてみました

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今年始まった「令和」が生まれた場所はどんなところなのでしょうか。訪れてみました。

平成が終わり、幕を開けた令和時代。これまでの漢籍を由来としてきた元号とは違い、万葉集の「梅花の歌三十二首并せて序」にある「初春の令月にして 気淑く風和ぎ 梅は鏡前の粉を披き 蘭は珮後の香を薫す」から引用したものであることが明言されています。

この「梅花の歌三十二首并せて序」は太宰府の長官だった大伴旅人が梅花の宴を開いたときに詠まれた32首の歌の序文であり、一説では山上憶良の作とも言われるもの。

梅花歌卅二首[并序] / 天平二年正月十三日 萃于帥老之宅 申宴會也 于時初春月 氣淑風梅披鏡前之粉 蘭薫珮後之香 加以 曙嶺移雲 松掛羅而傾盖 夕岫結霧鳥封?而迷林 庭舞新蝶 空歸故鴈 於是盖天坐地 < 促>膝飛觴 忘言一室之裏 開衿煙霞之外 淡然自放 快然自足 若非翰苑何以?情 詩紀落梅之篇古今夫何異矣 宜賦園梅聊成短詠


京都大学貴重資料デジタルアーカイブより)


太宰府は古くより中国や朝鮮半島からの玄関口として、大陸から多くの文物が辿り着いた交通の要所でもあります。その太宰府長官が中国からやってきた珍しい梅の花を愛でる宴を開き、古くより漢詩に詠まれてきた梅花の歌を詠もうというのがこの序文の意味ということになります。

「令和」は国書である万葉集を典拠としている事が強調されがちですが、太宰府という地理的にも政治的にも中国文化の影響を色濃く受け、密接な関わりを持っていた場所で生まれたもの。

そんな太宰府は現在いったいどのような場所になっているのか、「令和」のルーツを巡ってみました。

まずBUZZAP!取材班が訪れたのは九州の玄関口でもある福岡市の博多駅。ここから公共交通機関で太宰府に向かうには、電車とバスの2種類の方法があります。



バスは博多駅の北西部にある博多バスターミナルから太宰府駅域の直通バスで45分程度。こちらは楽ですが、週末やハイシーズンは長蛇の列になる事も多く、時間に余裕を持って並ぶ必要があります。

電車の場合は地下鉄空港線で天神駅に向かって西鉄天神大牟田線に乗り換え、西鉄二日市駅へ。さらに西鉄太宰府線に乗り換えて太宰府駅で下車。およそ40分の道のりです。

こちらが太宰府駅。昔から人気の観光地ですが、やはり週末は大勢の観光客が訪れます。



駅の改札を出たところ。やはり「令和」ゆかりの地であることがセールスポイントになっている模様。まずは定番の太宰府天満宮に向かってみます。


駅を出ると目の前がバス乗り場。右手に回り込んで右折すると表参道です。


こちらはひときわ目立つスタバ。ここは建築家の隈研吾氏が「自然素材による伝統と現代の融合」というコンセプトでデザインしたコンセプトストアで、ある種の観光名所にもなっています。


その向かい側にあるのが太宰府名物、菅原道真公ゆかりの梅ヶ枝餅で有名な「かさの家」。太宰府に左遷された菅原道真は貧しい生活を強いられていましたが、見かねた老婆が梅の枝にさした餅を送ったという伝説を基につくられたもの。


できたてのアツアツを食べる事ができるので参拝の前後にぴったり。


梅ヶ枝餅は表参道の多くのお店で売られていますが、ここが一番人気でした。



鳥居が見えてきました。



鳥居の奥の御神牛には行列が。頭を撫でると知恵が授かるという信仰があります。


太鼓橋を渡り、心字池を抜けていきます。この辺りは見事な木が多いですね。





楼門が見えてきました。




まずはお手水から。


楼門を潜り御本殿へ。受験生と思われる若者が大勢いました。京都の北野天満宮もそうでしたが、天神様はやはり学業の神様であることが思い出されます。


右手側に見えるのが菅原道真を慕って京都から一夜で飛んできたという伝説のある飛梅です。お気付きのように、とにかく梅にまつわる伝説や逸話が多いのがよく分かります。


こちらの巨木は建物を貫いています。


新しい麒麟の彫像。中国人観光客に大人気でした。


太宰府天満宮の境内には200種類の梅が計6000本ほど植えられています。心字池の右手側にはこのような梅園も。梅の季節に訪れるとよさそうですね。



梅園のさらに奥には昭和ロマン溢れるだざいふ遊園地が。タイムスリップしたかのような懐かしさがじんわりと込み上げてきます。


お前、生きていたのか…。


なお、この日はコスプレ痛車フェスティバル「コス痛だざいふ遊園地」が開催されていました。個別のコメントは差し控えさせていただきます。


そしてだざいふ遊園地のすぐ隣には九州国立博物館へのアクセストンネルが。


この近未来的なトンネルを抜けると…。


さらに近未来的なデザインの九州国立博物館があります。この時開催されていた「三国志展」にも興味津々でしたが、ひとまず令和絡みの石碑があるようなので正面へ。


正面の駐車場の端に目指す石碑があります。


「令和」の由来となった梅花の宴を開催した大伴旅人が奈良の平城京に戻り、太宰府を偲んで詠んだ歌の歌碑です。


左遷された菅原道真との境遇や心情の大きな違いが感じられます。


さて、後編では当時の太宰府があった太宰府政庁跡、そして大伴旅人が梅花の宴を開催した場所だと謂われのある坂本八幡宮を訪れてみましょう。

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