藤子・F・不二雄のSF(すこしふしぎ)短編の傑作のひとつ、「絶滅の島」が3月21日23時59分まで無料公開されている。
「ミノタウロスの皿」ほど有名ではないにせよ、この作品は人間存在とは何か、私たちが日々暮らしている中で何をしているのかをえぐり取る一編となっている。見てみよう。
このキャンペーンはドラえもん公式サイトが「STAY HOME特別企画」として期間限定で行っているもの。今回がひとまず最終回となる。
藤子・F・不二雄SF短編集に収録されている「絶滅の島」はドラえもんの「ハロー宇宙人」、21エモンの「宇宙パイロットへの道」と共に3月21日23時59分まで公開されている。
【本日最終更新】
— 【ドラえもん公式】ドラえもんチャンネル (@doraemonChannel) March 17, 2021
本日3/17(水)からは「ハロー宇宙人」(ドラえもん)「宇宙パイロットへの道」(21エモン)「絶滅の島」(SF短編)を期間限定で無料公開!
※今回の配信(3/21 23:59まで)をもって、本企画は一旦終了します。新たな企画を計画中ですので、お楽しみに♪https://t.co/59n1A7WRHd pic.twitter.com/837SDnRs5G
「絶滅の島」は17ページの文字どおりの短編。以降ネタバレを含むため未読の方はぜひ読んでいただきたい。
1980年初出のこの作品は、圧倒的な文明の力の差で瞬く間に人類を滅ぼした正体不明の宇宙怪物と、たまたま「秘島ツアー」に参加して生き残り、2年近くをその島で暮らしてきた27人の人類を描いている。
とはいえ、主人公のシンイチとカオリという高校生世代のふたり以外は作品序盤で島を発見し、襲撃してきた宇宙怪物にあっという間に惨殺される。藤子・F・不二雄作品としては異例なほどに無残に、人々はあっけなく「虫けら」のように殺されてゆく。その無造作さはタランティーノや岩明均すら思い起こさせる。
シンイチはひとり生き残った中年男性と森に潜み、「まるで虫けらのように」人間を殺したことで宇宙怪物を「あいつら、悪魔ですよ」と激しくののしる。
中年男性は「その意見には、虫けらの方から苦情が出そうだね」とし「宇宙怪物の目から見れば、人間も虫けらもおんなじことなんだろうね。」と冷静に返す。
男性は「長い間、人間は、地球の主人公として、かって気ままにふるまってきた。他の動物を生かすも殺すも、人間さまの心しだい」とし、「こんど、人間がかられる立場に立ったとしても…………えらそうに文句をいう資格は、ないんじゃないかんと………」と続ける。
言うまでもなく、人間と虫けらという関係の入れ込構造こそがこの作品のメインテーマだ。そして自分が虫けらだったとしても、それでも「精いっぱい生き延びようと努力すること」という回答も与えられる。それ自体はここの会話で語り尽くされているといっていもいい。
そして、そうした滅亡に瀕した人類の最後の決意に対し、物語の最後でこの「虫けら」の虐殺の理由は「チキューケナシザルの黒焼きは円形脱毛症に効く」という「ただの迷信」だったことが「宇宙怪物語」でのみ明かされる。
この短いやりとりはオチの付いた喜劇として表現される。「人生は近くで見ると悲劇だが、 遠くから見れば喜劇である」というチャップリンの言葉を重ねてもよいかもしれない。
だがここで重要なのは、生き残ったシンイチとカオリにはその事実は知らされず、ただ治療されて解放されるだけということだ。あくまで宇宙怪物の1匹が、なぜかたまたま自分たちを解放したことしか分からない。
おそらくは自分たちの数十億の同胞が、その島で滅んだ「ミツユビムカシヤモリ」と同じような、些末なデマで殺されたことを若いふたりは知らない方が幸せだろう。
いずれにせよ、このように虫けら当事者は何も知らされることはない。ただ殺戮され、保護されるだけなのだ。この作品は構造それ自体で「地球の主人公」としての人類の日々の些末な行いまでを克明に照らし出す。
そしてF先生最大の皮肉は「環境省の巡視官」である宇宙怪物の最後のセリフ「ぼくたち宇宙人。みんな友だち」という歯の浮くようなセリフだ。
絶滅危惧種をかろうじて救った人類がいかにも言いそうなセリフだが、この宇宙怪物たちは人類をほぼ全滅させ、文明を完全に崩壊させている。
フランシス・フォード・コッポラの名作映画「地獄の黙示録」には、ベトコンと誤認したベトナム人家族を誤射殺した後に「機銃で撃ってバンドエイドをくれてやる」という欺瞞が衝撃的に描かれるが、巡視官のセリフはまさにこれと対をなしている。
全てをぶち壊された後で、他の人類を見つけられるのか、自分たちの生活を組み立てられるのかも見えない状態で、ふたりは放り出される。人類目線はそこには一切なく、あくまで宇宙怪物の立場からの措置でしかない。そこに悪意が欠片もないところまで含め、猛毒と言っていいレベルの皮肉である。
以前コラムを書いた「ミノタウロスの皿」でも絶対的な、覆ることのない力関係と、上位者が下位者に注ぐ欺瞞に満ちた感情について指摘したが、ここでも「地球の主人公」たる人間と「虫けら」という形でそのテーマは再掲される。
「ミノタウロスの皿」では意志と知性を持った食べられるものとの対話として、「絶滅の島」では一瞬で食べられるものへと突き落とされた人類の憤りとして。
私たちは時に虫けら扱いする「人ならざる存在」とどのように対峙すべきなのか。これはF先生の一生のテーマのひとつなのかもしれない。いずれにせよ、相手が絶対的に強ければそうした問い自体が成立する前に、この作品のように殺戮されるだけなのだが…。
最後に、同時公開されている「ハロー宇宙人」もこのテーマに微妙にリンクする物語となっており、F先生の卓越さとキュレーターのセンスが光るため、ぜひ併せて読んでみていただきたい。
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