2020年の東京オリンピックで、酷暑の中で競技をすることに対してはこれだけ大きく問題視されるのに、目の前で行われている「夏の甲子園」に対しては異を唱える声はあまり大きくありません。いったいこれはどうしたことなのでしょうか?
◆多くの死者を出す酷暑、東京五輪にも大きな懸念も…
多くの死者を出す危険な酷暑に襲われた2018年7月の日本列島。熱中症による死者は124人、救急搬送は5万2819人と、統計を取り始めた2008年7月以降最悪の状況となっています。
これに伴って2020年に同時期に開催される東京オリンピック・パラリンピックでの酷暑対策が大きな問題となり、これまで以上に中止や開催時期の変更が叫ばれ、なぜかどさくさ紛れにサマータイム導入の話までが登場するなど、少なくとも「極めて大きな、致命的な問題」として捉えられています。
しかし、まさにその東京オリンピック開催期間中でもある8月5日に開幕した「夏の甲子園」については、中止や開催期間の変更などの声は少なくとも大きく目に見える形では上がっていません。
連日のテレビ中継を見ていれば分かるとおり、甲子園球場は空調の効いたドーム球場ではないため、灼熱の太陽に照りつけられる炎天下での試合を余儀なくされます。
これによって選手はもちろん観客席のチアリーダーや応援団などを含め、多くの高校生が熱中症の危険の極めて高い状況下に置かれることになります。
◆明らかに未成年を危険な状況で運動させている
環境省熱中症予防情報サイトの「運動・スポーツ活動時の注意事項」によると、熱中症は「時間帯では10~18時に多く発生」し、暑い時だけに限らず「気温は21~38度の広い範囲に分布」、長時間でなくとも「激しい運動では、30分で発生した例もあります」とのこと。
また未成年の運動については以下のように指摘されています。
学校管理下では、中学校・高校の1・2年の発生が多く、種目別では、野球、ラグビー、サッカー等屋外で走ることの多い競技、屋内競技の剣道、柔道等の競技で多く発生しています。
そして日本体育協会は熱中症予防のための運動指針を示しているのですが、乾球温度35度以上かつ湿球温度27度以上の暑さ指数が31度以上の場合は「運動は原則中止」としています。
その中身でも「特別の場合以外は中止。特に、子どもの場合は中止すべき。」とされており、未成年者が酷暑に強烈な直射日光の下で激しい運動をすることには厳しい警告を発しています。
◆東京オリンピックだけ批判するのはダブルスタンダード
東京オリンピックの酷暑が選手や観客、関係者らを命の危険もある熱中症のリスクの極めて高い酷暑に晒す事を問題視するのであれば、毎年繰り返し開催されている夏の甲子園に対しても同様の問題提起が為されなければ片手落ちと言わざるを得ないのではないでしょうか?
東京オリンピックの酷暑対策では小池都知事の「首に濡れタオル」や「打ち水作戦」がまったく意味がないと批判されていますが、同じ時期の炎天下で野球の試合をさせる夏の甲子園でこれを越えるどれほどの酷暑対策が為されているのか、極めて疑問です。
また、オリンピックは極めて高度な訓練を積み、多くは国のバックアップやプロのサポートチームを擁しています。しかし高校野球は学校の部活動に所属している高校生が行う競技であり、同様のサポートがあるとは到底言えません。
東京オリンピックでも、特にマラソンでは「猛暑が続くと有力選手が出場辞退し、日本に有利な状況」という妄言が飛び出すほど、世界トップクラスの選手にとっても過酷な状況。
ウォールストリートジャーナル紙は「猛烈な暑さで選手と観客の体調への不安が高まっている。夏の開催についての疑問が再燃した」と指摘し、ガーディアン紙も選手と観客双方にとって危険な状況になるとの懸念が改めて高まっているとしましたが、こうした警告はそのまま夏の甲子園にも当てはまるはずです。
◆これは児童虐待の感動ポルノではないのか?
今年100回目を迎える夏の甲子園。もう既に日本の夏の風物詩として完全に定着していることに疑問の余地はありません。
「炎天下で懸命に白球を追う球児たちの姿」に多くの大人たちが感動し、その「青春の美しさ」に心を震わせます。
ですがなぜ炎天下の甲子園で最も暑い昼間に試合を行わなければならないのでしょうか?空調の効いたドーム球場はなぜいけないのでしょうか?涼しい時間帯や季節にやってはいけないのでしょうか?
「別の球場を借りるのは大変」「スケジュールを変えるのは難しい」いろいろと理由があるにせよ、それによって未成年の命の危険までも含めた健康を犠牲にすることは許されるのかという大きな問題があります。
プロ野球も少なからぬ試合がドーム球場で開催されるようになっており、敢えて高校野球の試合を甲子園で開催しなければならない合理的な理由はありません。
「100年の伝統だからだ」「これまでずっとやってきた」という主張もありそうですが、100年前の気候と現在の気候は違っており、過去最悪の熱中症を出すようになっている昨今の酷暑を甘く見積もりすぎています。
そして「暑さの中で歯を食いしばり、汗を流しながら勝利を目指す姿勢が美しいのだ」といったよくある感傷的な主張に対しては「あなたは野球ではなく感動ポルノを見ているのではないか?」という疑問が拭い去れません。
どこで開催されようと高校野球は高校野球なのですから、空調の効いたドーム球場で試合をされるとしらけるというのであれば、それはやはり「努力」「忍耐」「根性」といった付随する要素を消費しているだけだと言わざるを得ないでしょう。
敢えて指摘しますが、夏の高校野球を「空調の効いたドーム球場」ではなく「甲子園」での開催を求める心理は、ブラック企業が従業員に求める種々の要素と双子のようによく似ています。
◆「本人の意思」は理由にならない
こうした批判に対しては「本人たちの意思だから」「高校球児が甲子園を夢見てがんばっているのに部外者が騒ぐな」という論法で反論が行われることが少なくありません。ですが、それでいいのでしょうか?
「好きでやっている仕事なんだから薄給で劣悪待遇でも我慢しろ」といった論法が日本社会で横行してきたことを考えれば、「本人の意思」は往々にして自己責任論の温床となることは言うまでもありません。
また極めて同調圧力の強い日本で、しかも学校の部活動という閉鎖的な集団の中で、大多数と異なる意見が封殺される可能性は日本人であれば誰でも想像できるのではないでしょうか。
ですが「本人が望んでいる」事を理由に未成年に危険な運動を行わせるのであれば、その責任は運動を許可している側の責任となります。「夏の甲子園」であれば野球部の監督やコーチ、高校であり、同時に主催する朝日新聞社、日本高校野球連盟、後援する毎日新聞社、それに阪神甲子園球場ということになるでしょう。
「夏の甲子園」を毎年恒例の娯楽として消費させる各メディアや関連企業、消費する日本社会そのものも無関係だと言い張ることはできないはずですが、果たして社会という「大人」の側にその自覚はあるのでしょうか?
◆最後に
野球は素晴らしいスポーツです。特に日本人にとっては昔から極めて馴染み深く、プロ野球選手たちの活躍に胸を躍らせ、息を呑む接戦に手に汗を握った経験のある日本人は多いはず。
野茂、松井、イチローを始めとした日本人選手の大リーグでの活躍には、野球ファンならずとも心を掴まれたのではないでしょうか。
そんなプロ野球選手たちはみな高校野球を通じて育ち、大成していきました。日本の野球文化の最も根っこの部分にあるのが高校野球だと言っても過言ではありません。
だからこそ、未来の大選手を生み出す可能性に満ちた高校野球で、選手が熱中症で倒れるようなことはあってはなりませんし、彼らにベストな環境を与えるのが野球を愛する大人たちの使命であるはずです。
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