熊野古道で忘れてはならないのは、その始まりの地である神倉山のゴトビキ岩。熊野権現と呼ばれる神々が最初に降臨したその場所へ、Buzzap!取材班は向かいました。
熊野本宮大社を訪れたBuzzap!取材班は次なる目的地、新宮市へと向かいます。熊野川の河畔をひた走ると、山に囲まれた白砂利の河原の風景がどこまでも続きます。
川に見えるのは舟下りツアーの船。これで熊野速玉大社まで行くこともできます。
この川が海と交わる場所に新宮市の名前の由来ともなった「新宮」こと熊野速玉大社があります。神社の第2駐車場はまさに熊野川の河口の河原にありました。
なぜここが新宮と呼ばれるようになったかは少し置いておいて、まずは参拝してみましょう。
広い駐車場を通って境内に向かいます。
境内に入ってすぐに目に入るのが…。
平重盛公が植樹したとされる樹齢1000年を超える見事な梛(なぎ)の大樹。梛としては日本最大とされ、それだけ昔から名のある人々が熊野詣をしてきたという生きた証とも言えます。
境内は広く、朱塗りの建物も塗り直されて色鮮やかです。
こちらには立派なしめ縄が。
ここでは熊野速玉大神と熊野夫須美大神の夫婦神を主祭神として祀っています。
加えて熊野本宮大社の主祭神、家津美御子大神と天照大神も祀られています。
熊野恵比寿神社もその横に。いろいろ想像してしまいますね。
さて、ここから神倉神社に向かいます。南に500mほどなので時間があれば歩いてもよいでしょう。自動車で向かう場合は道が極めて狭い住宅街を通ること、駐車場が少ないことに要注意です。
こちらの神橋を渡って山のたもとへ。
神倉神社は現在熊野速玉大神の摂社で、日本書紀では神武天皇が東征の際、熊野に到着して登った「天磐盾(あめのいわたて)」として伝えるられる岩山に鎮座しています。まさに日本神話の舞台そのもの。
そして同時に熊野権現と呼ばれる神々が最初に降り立ったとされるのがこの神倉神社。現在は「元宮」と呼ばれます。
そして熊野速玉大社の公式サイトによると、「熊野速玉大社は、まだ社殿がない原始信仰、自然信仰時代の神倉山から、初めて真新しい社殿を麓に建てて神々を祀ったことから、この神倉神社に対して『新宮社』と呼ばれています」とのこと。
この極めて急な538段の石段を登ります。体力に自信のない方にはかなりキツい登りになるので覚悟してください。最低でもスニーカーのような運動靴が推奨。また雨天時は滑るので細心の注意が必要です。
冗談抜きでこのような石段が延々と続きます。途中で飲み物も買えないので事前に準備しておきましょう。
バリアフリーの余地はまったくありません。手すりなどもないため転落にも注意。
中盤以降はそれでもずいぶん登りは緩やかになります。ここまで来たらもう少しです。
鳥居が見えてきました。
神倉神社の入口です。
まずはこの見晴らしに圧倒されます。熊野川の河口と太平洋、そして新宮市の街並みのパノラマビューです。かつて神武天皇がここに登って景色を眺めたと考えると感無量ですね。
こちらが社殿と御神体のゴトビキ岩。地方の方言でヒキガエルを意味し、まさに熊野権現が降り立った場所。日本神話以前の磐座信仰の時代から続く信仰の対象です。
なお、神倉神社の祭神は高倉下命。神武東征の際、熊野で倒れた神武天皇に建御雷神から授かった神剣、布都御魂(ふつのみたま)を献上した人物です。
ゴトビキ岩の裏手側。神域ですね。
帰り道も非常に険しい下りとなります。膝がガクガクになること間違いなしなので要注意。ゆっくり降りましょう。
ということで、熊野権現が最初に降り立ち、神武天皇が登ったまさに熊野古道のはじまりの地と呼べるのがこの神倉神社とそこから移された熊野速玉大社。
山深い熊野川のほとりに鎮座していた熊野本宮大社とは対照的な風景ですが、熊野古道が実は海とも深い繫がりを持っていることを肌で感じ取ることができます。
次はいよいよ熊野那智大社に向かいます。ここでは熊野古道と仏教との深い繫がりを見ることになります。
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