福島第一原発から24kmの「桃源郷」、獏原人村の満月祭 <後編>


東日本大震災で未曾有の事故を起こした福島第一原発。そこから南西に24kmの川内村のとある場所に30年以上前に作られたコミューン、獏原人村。この場所に創立当時から現在まで住み続け、満月祭を主催する村長のマサイさんにインタビューを行いました。

福島第一原発から24kmの「桃源郷」、獏原人村の満月祭 <前編> BUZZAP!(バザップ!)

マサイさんはこれまでDOMMUNE FUKUSHIMAなどにも出演し、現場で起こっていること、そしてこの先のことについて語って来ました。今回満月祭という現場でこれまでのこと、そして原発被災の当事者として、これから描く未来についての考えを話していただきました。


BUZZAP!(以下、B):そもそもの話になりますが、まずこの獏原人村に暮らすようになった経緯や歴史について教えて下さい。30年以上前、ちょうどヒッピームーブメントが起こっていた頃ということですが。

マサイ(以下、マ):本人はそのつもりはなかったんだけど、客観的に見たらそのヒッピームーブメントに乗って獏に来たことになるね。当時学生運動が挫折して、暴力によっては世の中は変えられないということになり、それじゃあどうするのかとなった。

悪いものがあるから新しいものが作れないのではなくて、それはそれで放っておいて自分がいいと思うものを作ればいいんじゃないかということで、町中ではできないから人里離れた山奥にコミューンを作ろうということになってこの場所に来た。

B:たまたまこの場所を選んだということですか?

マ:たまたまだった。なまえのない新聞という今でもあるミニコミ新聞に「共同体(コミューン)やりたいんで場所と仲間求む」って宣伝を出した。この辺りには元々「もぐら」というコミューンが先にあって、そこを紹介したい奴から「一回ちょっと来ないか」と連絡が来た。親類などの縁ではなくて、ミニコミ新聞が縁でここに来た。

「もぐら」とは一緒にはやらずに近くに「原人」ってグループを作った。ここには元々「もぐら」がいたからここには済むつもりはなかったんだけど、「もぐら」が解散しちゃったからここに入った。もぐらはより政治色が強かったから、その中でヒッピー色の強かったひとりが俺たちと一緒になった。そういう流れがあってここに来ることになった。

B:福島第一原発は当時からあった(1971年営業運転開始)と思うのですが、その頃反対運動などはされていましたか?

マ:あるのは知ってたけど、その頃は原発にはあまり興味はなかった。俺が原発に興味を持ったのはスリーマイル島の事故以来。事故が起きて、それでこれはちょっとまずいなということで勉強会などを始めて、そうこうしているうちにチェルノブイリの事故があって決定的になった。

俺たちはテレビもラジオも全部拒否して政治とは関係ないところで自分達の生活を作るんだということでやってきたけれど、結局原発とか動かしてるのは政治のわけだから、自分は嫌でもやっぱり政治とは無縁で生きてはいけないんだということが分かった。

原発を必要としない生き方を俺たちはしているわけだけど、でも片一方ではそういうこととは関係なく政治は作っちゃってる。だから、自分達が原発要らない暮らしをすると同時に原発をなくすための政治的な働きかけも両方やらなきゃいけないという結論になった。自分達だけで理想の社会を作るのは不可能なんだとそこで学んだ。


獏原人村にあるマサイさん手作りの自宅。使う電気は太陽光発電で賄っている。

自宅の前には川から水を引いた池も。ビーチのように見えるのは除染の跡。

B:そういう中で3.11の東日本大地震と福島第一原発事故が起きてしまったわけですが、その時避難はされましたか?

マ:1ヶ月くらい妻の実家のある茨城県に避難していたけれど、鶏を飼っているから避難しっぱなしというわけにはいかなかった。それで獏原人村に世話のために通い始めた。でもいつまでも茨城からは通いきれないので4月の9日に戻ることにした。

B:獏原人村に戻ってきてみて、目に見えて違っていたことはありましたか?

マ:それはないね。地震で地すべりや地割れが起きて道は壊れたけど、放射能は見えないからね。そこは自分がどう意識するかだから。いわき市などに出荷していた鶏卵の取引は半分位にはなっちゃった。

B:今、除染も行われていますが、見えない放射能や、それによる内部被曝などに対してどう考えていますか?

マ:放射能といってもレベルによって違う。とても高いところと低いところがグラデーションのようにあるし、ホットスポットもあるので、一律な返答はないと思う。千差万別、人それぞれ。

俺も別のところに住んでいたら言うことは違っていたと思うけれど、ここだったら何とかやっていけるレベルかなと。根拠がどうというのではなく感覚的にね。ガンが何%増えるとか、自分の年齢とか食生活とかを加味して俺は大丈夫かなと。確証は誰にもない、確率だから。

俺は年齢的にも、ここを捨ててどこかここ以上のところはあるのかなと考えるとちょっと無理だろうなと思う。これ以上の場所を今から見つけて開拓なりなんなりしてまた作り上げるっていうのは不可能。街中でアパートを借りて住むなんてイメージできないから。

人は何かを選択しなきゃいけないし、だとしたら、例えリスクがあっても俺はここに住み続けたい。病気になったりさらに原発が爆発したら別だけど、今の状況の中ではいたいなと思う。

満月祭に関して言えば、本当は誰も来なくてもおかしくないのにみんな来てくれてる。それはどこか俺と気持ちを共有してくれてるからでしょう。人のためにやってるわけじゃないけど、それを裏切れないという気持ちもある。俺がどこかに避難しちゃったらそれで終わりだから。

なんていうか、リスクだけでは語れないものがある。「そんな危ないところに」って、そういうことだけじゃなくて。俺が踏みとどまって満月祭をやることによって共有してくれる人がいるってことが俺にとっても力だし、逆に来てくれる人にとっても力になると思う。だからこそできるわけで、辞められないなぁって思う。

だから放射能が何マイクロシーベルトとか、そういう話ばかりはしたくない。しなきゃいけない部分はあるけれど、そればかりでものごとを片付けることはできない。

2012年の満月祭の模様から。

B:戻ってきてから1年以上経つわけですが、その間に考え方が変わったりはしましたか?

マ:この1年っていうことではあまり変わってない。ただ、震災になった時には考え方は大きく変わって「当事者」になった。それまではチェルノブイリとか水俣とか海外の戦争とか、全部本当は関係あるんだけど他人事だった。

例えばチェルノブイリの後なんかは俺達も反対運動やって、ちょっとでも事故があれば「それ見たことか!」と、「放射能はちょっとでも危ないんだ!」と騒ぎ立てたんだけど、実際自分が当事者になっちゃうと、放射能に対するニュアンスも変わってくるんだよね。

「なぜ当事者になったんだ」っていうことは考える。考えたって分かるわけじゃないんだけど、何か理由があるわけ。当事者にならなきゃ分からないことがあるわけだから、ある見方をすれば俺は当事者になることによって気づく人生を選ばされたって思う。

差別だって差別されたことのない人は差別される心なんて分からないわけで、差別されることによってその気持がわかるからこそ差別はやめようって気持ちになる。当事者になったからこそ優しさが生まれてくる。だから当事者になるってことは不幸なだけじゃなくて、自分が成長するための必然なんだって思ったね。だから一番変わったのは「当事者」になったということ。


B:これから川内村、福島はどうなっていくと思いますか。

マ:俺は村っていう意識があんまりないんだよね。獏が好きだってことからいきなり自然や地球が好きだってことになっちゃって、あんまり川内とか福島っていう感覚がない。例えば川内村とか飯舘村とか行政が線を引いてるけど、俺はそういうのにすごく反発する人間なんだ。ラインを勝手に引くなって。そんなもの本当は存在しないじゃないかって。

だからそういうものは嫌いで、この地上に生きてるんだっていう感覚でいる。山の猪に「川内の猪ですか、いわき市の猪ですか?」って聞いても意味がないように。そういう意味のないことを我々はずっとやってきてて、それに気付かなきゃいけないんだよって思う。

みんなそういう区別を自然に受け入れてるけど、本来ない幻に縛られて挙句にこのザマなんだって言うと極論だけど、そういう集大成がこういうことを起こしたと俺は思っていて、根本から見なおさなきゃいけないと思ってる。

B:3.11の後、ここで生きていくということに対してストレスなどを感じていますか?

マ:俺にはあんまりない、なぜだかわからないけど。妻はあるんだけど。でもそれが一番つらい。夫婦で温度差があるのが一番つらい。今までないつもりでいたのに、そういう違いが出ちゃってる。極論だとそれで離婚しちゃう人もいるわけでしょう。平常時には分からなかったものが震災によって違いがくっきり浮かび上がっちゃって一緒に暮らせなくなっちゃうって人が出てくる。俺はそれが一番怖い。

同じつもりだったけど感受性が違うことが分かっても、それを「お前なにいってんだ」って否定することもできないから。数字の問題じゃなくて感性の問題だから説得もできない。それはつらいけど、それも受け入れるしかないなって。

B:では、マサイさんはこれからもこの獏原人村や満月祭を続けていくと。

マ:俺はやり続けるつもり。本当に物理的に病気してできないとかでは別だけど、俺自身満月祭が好きだから。こんな状況なのにこんなに来てくれるなんてね。

コミューンは成功しなかったけど、理想郷ってのは人為的に作るものじゃない、幻想であったと思う。自分で見つけたりするもんじゃなくて、結果的にあの時は楽しかったねって、そういうもんだと思う。

そして、満月祭っていう別の形で自分の思っていた理想郷ができていた。それこそ青い鳥は家にいたと、そういう感覚が俺にはするの。一週間経ったらみんな帰っちゃうんだけど、でもみんなここではリラックスしてるじゃない、これこそがユートピアなんだって、そういう感じ。それを辞めちゃったら、ね。

(了)

来年の満月祭に行ってみたいと思った方は満月祭公式Blogをチェックしてみてください。春頃には日程などが決まってくるとのことです。

満月祭

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