【Soft25周年インタビュー Vol.2】Softの歩いたアンダーグラウンド



今年結成から25周年を迎える、京都を代表するバンド「Soft」。11月3日の記念Partyを前に現メンバーへのロングインタビューが実現しました。


(インタビュー第1弾記事はこちらから)

京都在住で音遊びをしてきた人であれば、必ずどこかで出会ったであろうバンド「Soft」。1993年の結成以来、多くのメンバーが出入りしつつアンダーグラウンドシーンの音楽を呼吸するかのように進化を続けてきたSoftが今年25周年という大きな節目を迎えました。

11月3日(土)には京都の老舗クラブであるMETROにて「SOFT Presents 25th ANNIVERSARY LIVE」が決定しているSoftのSIMIZ、UCON、PON2、KNDの4人の現メンバーに結成から現代に至るまでのSoft、そして彼らが生まれ、ホームとして暴れ回った京都という街とそのシーンについて存分に語って頂きました。


インタビューはSoftのベースUCON氏の経営する京都市の繁華街、河原町から程近い御所南の「ambient cafe mole」で行われました。


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BUZZAP!(以下B):DJとバンドというスタイルのパーティでライヴをしていく中での影響のようなものはありましたか?

SIMIZ:DJといっぱい一緒にやるようになって、長いスパンで物語を作っていく感覚が強くなってったかな。バンドだけやってたらたぶん1曲で完結してって感じだけど、ショーの中で大きな流れがあって、パーティ全体ではもう一段大きい波があるみたいに時間軸の見え方が変わったのが面白いね。

PON2:バンドやねんけどちょっと匿名性が高いというか。スポットライトが当たって「はいバンドの演奏しますよ」っていうよりは、DJからそのまま続いて自分らの演奏が始まっていって、音を切らずにずっと演奏して終わってそのまま自然にDJに繋がっていくみたいな、そういうのを目指していたかな。

B:確かにそれはライヴを聴く度に感じていました。

SIMIZ:あんまり出てってロックスターみたいに「Yeaaah!!」みたいのはちょっとダサいなと思って、それはやりとうないと。

PON2:まあMC入れるの苦手ってのもあったかもしれんね。

UCON:Pink Floydとかのプログレみたいな、ひとつのアルバムでひとつの物語みたいなのもテクノのパーティ的というか、大きな時間軸で完結するみたいな。そういうのとDJの世界とが意外と共通点があるように感じてました。

SIMIZ:そういのがしたかったね。

B:Softのライヴにはそういうものを求めている人が多い気がします。

SIMIZ:「どうなるかと思ってハラハラした」とかよう言われんねん。もうどうしよう俺らみたいなところから復活するっていう。

UCON:「1回壊れそうになって復活する瞬間が好きや」ってマニアックな人もいたな。当時リリースしてくれてたCOMMAのプロデューサーの三村君なんかよく言ってた。

B:スリリングですね。

KND:そういえば初めて見た時に生でドラムンベースやってるって思ったのを思い出しました。

B:ライヴごとの作り込みっていうのはどんな感じでされてきたんでしょうか?

UCON:いろんな時代があって、例えば1時間のセットをほぼ変えずに2年くらいやってたこともあったな。

PON2:ものすごくびっちり決めてた時代もあったし。

UCON:ひたすらマイナーチェンジを繰り返してひとつのライヴを作るみたいな時代もあったり。

PON2:最初3分くらいの短い曲だったのがどんどん10分になり20分になり30分になり、ほぼ1曲か2曲でライヴ1時間とか。それでどんどん形にしていくのが初期の頃2年くらい続いたかな。その後それを全部うっちゃって、ボーカルとかSINKICHIとかが抜けた時点で3人になったから、もう完全にインプロの世界みたいな感じになったかな。

SIMIZ:リズムマシーンとかで俺が遊んでてこれでやろうとか。

UCON:SIMIZが打ち込みでベーシックトラック作って、それに乗っかって演奏する感じでこだまの森の時はやったね、3人で。

SIMIZ:その後SINKICHIとヤンボーとBASED ON KYOTOのDAICHIが3人でOTOKAJUMOKUってユニットやってて、一緒にやろういう形になって、打ち込みが最初俺入れて3人おって。SINKICHIはドラムも叩けるしツインドラムにしようってなって、UCONがベースやって。

UCON:それでヤンボーっていう元RISE FROM THE DEADのメンバーがサックス吹いたり、打ち込みもしてたね。

SIMIZ:その当時とか、リズムマシーンをそれぞれMIDIで同期させて、それモニターする回線が戻ってきてとかで、セッティングでスタジオで毎回1時間半とかかかってたな。しかも3人ともマイペースやから…。

UCON:遅刻してくる上にMIDIがちゃんと3人同期するのに1時間掛かるとか、気の遠くなるような。無茶苦茶最初の頃はスタジオ入ってて、週2回3回は当たり前でライヴあるなし関わらず、ずーとやってたな。

PON2:一晩中ずっとスタジオ入ってましたね。

SIMIZ:精華大のスタジオがあって、そこ使ってたね。お金も掛からんし。とりあえずそこでひたすら音出して。

UCON:で、3~4年使わせてもらって…もっとか。その後今構えてる一乗寺のスタジオを借りて、もう10年以上になるね。街貸しのスタジオ借りてたらお金が全然追いつかんくらいの感じなんで、自分たちのスタジオ借りて。

B:精華大のスタジオ借りてたのは90年代くらい?

SIMIZ:2000年代入っててもやってたかもしんない。沖縄の後とかも入ってたような。

UCON:結構長いことお世話になってて。中退してんのに。

SIMIZ:よかったよなんか。学校やし、夜中で人もいいひんし、広いところで外出たら山の中やし。外に畳み引いてるスペースがあって、そこにコタツとかあって。

B:自由度高いですね。

UCON:俺らの時代でももう自由度が失われてるって、上の世代の人からすると見られてるような時代だったんやけど。

SIMIZ:どんどん自由ってなくなるよね。

PON2:後輩連中からは相当ビビられてたみたいやけどね。

B:全国ツアーで回っていた時期について教えてください。

SIMIZ:ヤンボーとDAICHIが抜けてSINKICHIが残って、その頃から日本中ツアーで回るようになったね。

UCON:2000年からかな。それを当時マネージャーしてくれてたシンヤって奴が、バンドのレイヴツアーみたいな、あんま誰もやってないことを日本全国、北海道から沖縄までブッキングして一緒に回って。

SIMIZ:ひどかったよ~。いのちのまつりの後に「この車に機材積んで」って言われて積んだら持ち主の人「えっ!?」とか言って。「ずっと借りるから~」って言ってそのまま山の中に連れて行かれるとか。そこからもう1ヶ月くらい家帰れんとか普通にあったし。12時間掛けてどこか行って、また12時間掛けてまた走るとか。

UCON:基本宿とかないからキャンプしながら日本中。たまに誰かの家泊めてもらえたら「畳で寝れる!」って。

B:ヤバいですね、それは。

SIMIZ:「大丈夫大丈夫、キャンプで大丈夫だから」とか言ってんねんで、電話で。楽しんでやってたけどね。

UCON:もう毎日BBQですよ。煮物っていう発想がなくってとりあえず焼けって。

SIMIZ:もうしんどいな~。若かったしできたんやろな。見知らぬ街でポケットに50円しかないとかそういうことがよくあって。どこにおるか分からんくなってたね、この時。どこで会うたとか言われても覚えてへん人とか結構多くて。

UCON:後、途中からついてくる人とかいて。お客さんで来てるけど俺らのツアーに帯同しながら3箇所くらいレイヴを回るとか。

SIMIZ:「一緒行こうな」とか言うたら盛り上がってしまって「行こう行こう」ってなって。なんか探してたんやろね、みんな。自由やっていう雰囲気があったんやろなとは思うんよあの当時は。こうやって自由におれるんやみたいな感じやったもん。

B:2000年前後はそういう雰囲気ありましたね。

SIMIZ:いまだにでもそういう若い奴がね、こないだの吉田寮もそうだけど、そういうやつあったら嬉しくなるもんな。

B:全国回ったのはいつくらいまでだったんですか。

UCON:2004年くらいまでは同じようなツアーやってたな。

SIMIZ:面白かったのはツインドラムでツアー回ってて、1年後にまたその街戻ってきたら対バンやったバンドがツインドラムになってた。

B:それはヤバいですね。

SIMIZ:ちゃんとトラウマ植え付けれたなって。結構ビッグネームな人らとかとやること多かったから、絶対なんか記憶に残してやろうっていうか、優勝せな意味ないなみたいな感じでやってたもんね、あの時。それに絶対一番かっこいいライヴしたろみたいな、もうギリギリなってたもんな。今もう全然ないもんなそれ、ゆるくなってしまった。

B:もうSoftが大物になっちゃった感じありますからね。

UCON:いえいえ大物ではないですよ。古いだけですよ。

SIMIZ:いやでも、村八分あってボガンボスあってSoftみたいな言い方してくれる人おると嬉しいけどね。やってきてよかったなと。

PON2:そこと並べてくれんの!みたいな感じはあるな。

B:当時ダンスミュージックから入った身としては、京都でダンスミュージックでバンドとなるとSoftは最初に出てきますね。そういうシーンがあるんだということも衝撃で。

SIMIZ:最先端ではなくて斜めの先端を行くというのをいつもね。

B:「京都のアンダーグラウンドではバンドとDJが一緒にガンガンパーティやってるらしいよ、しかも大学の寮で」って2000年くらいの東京にも噂が流れてきていて。そこでBOREDOMSやAOAはもちろんですけど、京都というとSoftっていう。

UCON:僕らもBOREDOMSはものすごい影響受けたし、あれだけ世界的に有名になってもアンダーグラウンドのパーティで遊び続けてるEYEちゃんとかYOSHIMIちゃんとか、ああいう人らの影響はすごい受けましたね。テクノやトランスのDJのレイヴとかでライヴし始めたのもBOREDOMが最初だったと思うし。

それに続けって行ったのがAOAや俺らやTRIBAL CIRCUSとか。COMMAレーベルっていう90年代後半から2004年くらいまでいたレーベルがまさにそういうピンポイントで狙ってた人らが集まってて。

SIMIZ:こだまの森でやったVITAMIN-Qとか面白かったな。まだそんなにレイヴも行ってなかったしな。


UCON:98年やね、20年前や。BOREDOM、AOA、TRIBAL CIRCUS…。


B:この頃がSoftがぐっとダンスミュージックにぐっと近づいた時期と。

UCON:そう、みんなエレクトリック化してギター、ベース、ドラムも引くみたいなライヴしてましたね。





SIMIZ:後はあの頃で言えば新宿リキッドルームとか。

PON2:面白かったなぁ。

UCON:むちゃくちゃ盛り上がったな、新宿ホワイト。

PON2:この時トリ違ったっけ?

UCON:アンコールで曲ないのにずーっとフロアが鳴り止まんで。それで出ていってセッションした。

PON2:キック四つ打ち踏んでたらみんな盛り上がるみたいな。とりあえず出ていってバスドラで四つ打ち踏んだらみんなおおおおおーとかなって。それで最後に客電全部パーンって上がってものすごく明るくなって、それで余計にみんな盛り上がって。

SIMIZ:もう終わると思ってたもんなこの世が、ノストラダムスの大予言とかで。

PON2:98年とか99年とそんな感じで。

SIMIZ:終わるし遊ばなみたいな。

UCON:ブライアンの誕生パーティーの時、リキッドルームとロフトとどこか新宿の3ヶ所行き来できて、リキッドルームの前にジム・ジャームッシュが並んどったんやこれ。



B:ええええ!?

UCON:ブライアン・バートン・ルイスと友達やったんかしらんけど。

SIMIZ:外出て新宿の街どこまでがパーティか分からんようになってたな。

B:あの頃の歌舞伎町なんてわちゃわちゃだった時期でしたよね。

UCON:殴られ屋とかおって。なんやこれは思って。

B:うわぁ、いましたねぇ…。

PON2:沖縄の辺戸岬のもよかったね。

SIMIZ:沖縄本島の一番北の岬で2000年を迎えるパーティやったね。引っ越し便で機材送って。あの時もすごかったな。

(編集部注:「Sun Shine Shrine 1999-2000」というミレニアムパーティです)


UCON:これショーン・レノンが遊びに来てたな。

PON2:そうそう、牧志公設市場で「うわ、ショーン・レノンおる」って気がついた。

UCON:俺、会場でやった。

SIMIZ:なんか2000年になるとか21世紀になるとかでエネルギーがぐっと集まる時期やったな。

この頃の初期のレイヴはいろんなもんが混じってたし特に面白かったな。結構ボーダーを超えるみたいな感じやって。なんかエネルギーがすごいぶわぁーってなってて、糸が切れた凧みたいにそれに乗ってしもたみたいな感じあったよな。どこ飛んでくんやろって。何やってもええわみたいな気分になってたわ。

B:その頃に出てきたバンドにはジャム系に近いような人らも多かったようにも思うのですが、Softはまたヒッピー系やGreatful Deadっぽいジャムとは違いますよね。

SIMIZ:ジャムバンドっていつの間にか言われるようになったんやけど。

UCON:最初の頃はそういう用語がなかったですね。ジャムバンドってジャンルがなかった。

SIMIZ:ジャムバンドだと思ったことないな。ハウスとか好きやったしな。オシャレな黒人音楽とかかっこええなと思って聴いてたし。

B:すごくファンキーな感じはありますよね。

SIMIZ:ファンクはすごいベースにあるかな。始めてバンドやり始めた頃にもファンクでみんなガーって踊ってるとか、そういうバンドで踊ってるとかあんまなかったもんね、昔ライヴハウス行ってたとき。踊ってるとか共有する感じとか。

B:その頃からお客さんが踊るっていうところへのフォーカスはあったんですね。

PON2:20000Vで今のメンバーになる前のROVOと対バンしたときあったやんか。あの時も俺らうわーって踊ってんのやけど前の方みんなビシって見てて、Softのメンバーだけがやたら踊ってた感じやった。すげーっみたいになって。

UCON:ROVO始めて見た時や。

SIMIZ:世代的にもちょっと下やしな、ROVOの人らよりも。

B:ではいわゆるジャム系とはがっちり噛んでない…とは言ってもいのちのまつりとかも出てますよね。


SIMIZ:ヒッピーのおっちゃんは昔から俺らのこと好いてくれはんね。

UCON:Dead好きの人が聴いてくれた感じはありましたね。

SIMIZ:Deadとか最初全然良さ分からへんかったもんな、20代の頃とか。

UCON:20代の頃は俺もDead分からんかったけど、今は好きですけど。

SIMIZ:好きやなぁ。

B:山水人もずっと出てましたよね。

UCON:1年目だけ活動休止してて出てないけど、2年目から去年までは毎年出てましたね。もう十何回。

B:山水人はずっと朽木でやってたんですよね。

UCON:そう、人数も多かったしね。

SIMIZ:それこそ何千人とか。そんな世界やったね。

UCON:東京とかからもいっぱいミュージシャン呼んで。

B:当時東京でもすごいことやってるって話題になってました。1ヶ月間ぶっ続けでパーティしてて、なんなら山水人から会社に出勤して行く人もいるみたいな。

SIMIZ:反体制というかサブカルチャーというか、60年代くらいから脈々と続いてる文化があって、まだやってるからね。ずっと流れてる地下水脈があるんよね。

なんか言うてたな、昔ベトナム戦争で逃げた米兵をかくまうネットワークが日本人の間にあって、隠れてる米兵をあそこにかくまったと。あそこまで行ったらなんにもないし人も来ないし隠れれるからとか聞いたことあるね。今はまだ道あんなあるけど、昔はほんまに細くて崖のそばとかほんまにもうガーって行かなあかん道やって。

B:それはもう山水人やり始めてる時期の話ですか?

SIMIZ:そうそう、だいぶ道マシになったよ。

UCON:トンネルもできたりして。そして不思議なことに精華大の山の家みたいなのが会場のすぐ近くにあって、学生の頃からあの辺に行っとったんですよ。

SIMIZ:学校終わってからみんなでサウンドシステム持ち込んでパーティやったりとか。

UCON:2~30人のシークレットパーティやったりしてて。それから5年10年経って山水人ってのがあるって行ってみたらあの場所のちょっと先やんって。今は京都市内から1時間半くらいで行けるけど、だいぶ時間掛かってましたね。

SIMIZ:京都はそういうのが脈々とあるね。こんだけ面白い街はないなぁって思って。いろんなとこ行ってええな、住みたいなって思うけど、やっぱ人がおもろいのが京都で。もうさすがにこんだけ長いことおったらだいたい知ってるやろと思ったら人また流れてくるし。

UCON:新しい人との出会いも常にあるからね。ものすごくSoftと仲良くしていた人が離れていって寂しいと思ってたらまた違うところから現れて一緒に遊んでみたいなことをずっと繰り返してる感じはある。

SIMIZ:3.11が一番シャッフルされた感じはあるね。

UCON:あれで東から来た人がたくさんこっちに住み着いて、おもしろい化学変化が起こってると思う。

B:人が京都に入ってくる流れは昔からあったんですか?

UCON:大学がたくさんあるからね。

KND:府外から大学に来てそのままいてる人はすごく多いと思います。

UCON:だからおもしろいんちゃうかな。東京や大阪は別格として、地方都市でこんだけたくさん大学があって新しい人が入ったり出てったりってのはだいぶ京都は多い方ちゃうんかな。

SIMIZ:外国人も多いしな。

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インタビューは最終章へ。日本を飛び出したアメリカツアーでの風景から来月のLiveのこと、そして新発売となるCDのことまでじっくり聞かせて頂きました。乞うご期待!

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